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日記的な

『ボードゲームで社会が変わる』におけるウォーゲームの微妙な扱いについて

本エントリーは「War-Gamers Advent Calendar 2023」連動企画になります。と言いますか、アドベント・カレンダーの時くらいしか更新してません、このブログ。

話題の『ボードゲームで社会が変わる 遊戯するケアへ』(與那覇潤・小野卓也/河出新書)を読みました。正直なところ、安田峰俊氏の記事(『ドラゴンイヤー』)目当てで買ったのですが、全編楽しく読みました。ボードゲーム(※ただしウォーゲームを除く)は門外漢なので、関係各位がボードゲームにかけている期待やら想いといったものが伝わってきます。

我らがホビーのウォーゲーム、本書の中で扱いが微妙なのは仕方ないところです。例えばメリトクラシー(能力主義、ニュアンスとしては学歴主義でしょうか)という課題に対する解決でボードゲームが役立つ、という文脈の中で出た與那覇氏の言葉。
これまで議論してきた、ドイツゲームの特徴も活きてきますね。「完全実力」でないゲームなら、苦手な子でもそれなりには(運もあって)勝てる。また他のプレイヤーを「直接攻撃」しないゲームが多いので、プレイ中に「いじめ」みたいなことも起こりにくい。(161ページ)
ウォーゲームは「完全」ではないにしろ実力がものを言うし、「直接攻撃」が手段として用いられています。

この「直接攻撃」の可否は、アメリカゲームとドイツゲームの違いとしてあげられています。メリトクラシーを乗り込え、ダイバーシティを実現する=社会を変えるヒントはボードゲーム(※ただウォ)ということになるでしょうか。確かに、ボードゲーマーがウォーゲームを敬遠する理由のひとつが「直接攻撃」があることだと、教えてもらった覚えがあります。もっとも、実際のところ直接攻撃はひとつの手段に過ぎず、認められる手段を用いての目的達成がゲームの普遍的な面白さではないかと思っています。そこで目的をどう捉え、手段をどう使ってその目的を達成するのかという意思決定プロセスがウォーゲームの面白さだと思うわけですが──そこに歴史やミリタリーのフレーバーが加わって、目的・手段の理解を助けると思っているのですが、その意思決定の重さが、やはり敬遠させるひとつの要因になっているのではないかと、小野氏の次の言葉から感じられました。
米国産とドイツ産とでゲームの作風が異なる点として、「直接攻撃の有無」を挙げましたが、実はもうひとつの大きな違いが「運/偶然」の扱いなんです。(中略)米国産が多いウォーゲームでは、自軍の戦車Aで敵軍の装甲車Bを砲撃するという風に、まず行動を決めます。その上で砲撃が成功したかを、サイコロを振って判定する(「3以上が出れば、装甲車を除去」)。まず行動が選択された後で、その「出口」が成功・失敗のどちらになるかに偶然を絡ませるのが、アウトプット・ランダムネスのデザインです。(163ページ)
一方のドイツゲームには「インプット・ランダムネス(入力時の偶然)」が多いそうです。

インプット・ランダムネス──行動決定前のランダム性が採り入れられたウォーゲームもありますが(例えばチット=プル・システム)、最近はインプットをガチガチに自己責任にさせる作品が多くなっている気がします。最近自分がデザインしたのはだいたいそんな感じ。『対台湾特別軍事作戦202X』もインプット・ランダムネス寄りではありますが、やはり意思決定を重視する傾向があります。BANZAIマガジン第19号で紹介した『Littoral Commander: Indo-Pacific』や『We Are Coming, Nineveh』では、プレイヤーはゲームが始まる前にどのような戦い方をするのか──プレイをするのかを考え、カードを使ってその準備を行います。そのため確かにいわゆる「初見殺し」になりますが、これらの作品は単純に勝った負けたを競うというよりは、記事にもあったようにPDCAサイクルを回して感想戦を楽しむ、あるいはリトアニアの大学で行われたように、様々な角度から実際に起きた戦いを検証し、意見を交換するという楽しみ方が適切かもしれません。

ということは、「最後に勝ったひとりだけでなく、参加した全員が楽しめること」(與那覇氏、166ページ)はドイツゲームの特権ではなく、アメリカゲーム(ウォーゲームを含む)にも備わった美点であるとも言えるでしょう。直接攻撃そのものを楽しみにするのでなく、ゲームに参加した人々が何を考え、どう解釈し、何をしようとしてうまくいったのか/いかなかったのかを議論する楽しみ方があるのですから。アウトプット・ランダムネスによって結果が成功または失敗と判定されて「以上、終わり」でなく、そこに至るまでの経緯を振り返る楽しみと言えるでしょうか。一方で、その楽しみ方が歴史や現実に行われていることに関わっており、中にはセンシティブなテーマも扱っているので、共に楽しめる同志を見つけるのがどちらかと言えば難しいのが、このジャンルが広がりにくい理由だと思われます。特殊な歴史観や政治観をお持ちの方とは一緒に楽しめないと思うのです。そしてこれはダイバーシティの否定であり、やはり(※ただウォ)かもしれません。

本書では「相手の感性を『攻撃する』のは、さすがに品がない」(149ページ)とあり、全面的に賛同するところですが、歴史・戦史をテーマにしたゲームはノン・プレイヤー・キャラクター(NPC)として物言わぬ歴史が参加していると考えていて、そのNPCに思いを馳せてやることは大事と言いますか、ゲームをより楽しむコツではないかとも考えています。そこの配慮に欠けると「品がな」くなるから気をつけなければいけないと、本書でウォーゲーム代表に選ばれた『主計将校』のリプレイを読んで感じた次第です。
やはりドイツ軍は強かった。「赤軍全滅」と、筆者は笑いが止まらない。(75ページ・強調は引用者による。以下同じ)
與那覇氏が「ドイツ軍は凍死しました」と笑えば、加藤氏も「ここでおきているのは酷いことなのに、笑うしかない」。(76ページ)
そこには「神風」の文字が。(中略)筆者の脳内に、大本営発表が鳴り響いた。我が海軍航空部隊は、中央太平洋方面において敵機動部隊を邀撃、必死必中の体当たり攻撃を以て、これを潰走せしめたり。(76-77ページ)
ゲーム上で楽しかった出来事を「笑いが止まらない」「笑えば」「笑うしかない」としただけのことだと思いますが。やっぱり自分には包摂やらダイバーシティやらは無理かもしれません。

ボードゲーム(※)が社会を変えるかどうかはわかりませんが、もちろん社会なり歴史なりを変えるのは人です(BGGではウォーゲームにも分類される『ディプロマシー』が得意だったかもしれないヘンリー・キッシンジャーさんは歴史を変えましたね。ご冥福をお祈りいたします)。ボードゲームを通じて、あるいはボードゲームの美点とされるものを備えた別のものを通じて何かを学ばれた方が、これからの社会をより良いものにしていってくれることを祈念しています。


by yas_nakg | 2023-12-04 00:00 | 日記的な

歴史系ストラテジー・ゲームの話が中心です。


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